Mohamed Shahin
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「バラディか、それとも『 ・・・バラディ 』?それが問題だ」

「バラディか、それとも『 ・・・バラディ 』?それが問題だ」

By Mohamed Shahin

September 20, 2017

この記事は、バラディとは何か、または何がバラディではないのかをめぐって近頃起きている大きな 混乱について議論するものである。

Baladというアラビア語は「村」「故郷」または「国」を意味する。 

Baladi(語尾に ” i ”が付く)はその形容詞で「農村風の」「地方の」「地元の」「田舎の」といった

意味を持ち、英語における “ folk ” (労働者階級を示唆)に当たる。エジプトの音楽および舞踊

様式にも関係しうるが、アラビア語において バラディ という単語は音楽と舞踊にのみならず他にも

多用に用いられている。例えとしては、Baladi bread(地元のパン ※訳注:「アエーシ・バラディ」という丸く平たいパン)、Baladi people(庶民)、Baladi area(下町)、エジプトのBaladi Food(大衆 料理)といった具合である。

(注釈:アラビア語では語尾に “ i ” を付けると単数形所有格にもなる)

歌の中で “baladi” という単語が出てきた場合は「私の故郷」「私の土地」「私の村」または「この

バラディ娘」ということになる。しかしことアートにおいて我々が用いるのは形容詞であり、「田舎風の」という意味合いでのバラディである。

バラディミュージックとは、地方からカイロに人々が大量移住した20世紀初頭にエジプトの伝統音楽が都会的な様式に発展したものである。アコーディオンとサキソフォンの音色がバラディ音楽および

その舞踊様式をはっきりと特徴づけている。

バラディはしばしばヴァース・コーラスで組み立てられた伝統的な形式からなっている。幾つか

ポピュラーな例としては バラディソングの”Taht il Shibbak”、アコーディオンの即興曲としては”Awadi”、“Tit” 、“Ament be –ellah” や“Hassan Ya Khoulli” などがある。バラディとはしっかりと体系化された様式を持つ即興音楽であり、通常タブラ奏者とアコーディオンまたはサックス奏者の

掛け合いが盛り込まれている。

バラディの即興はアコーディオンソロ(タクシーム)で始まり、その後アコーディオンとタブラの間での 呼びかけと応えが続き、ゆったりとしたリズムセクションへと流れる。さらに呼びかけと応えの箇所、

より速いリズムのセクションへと進んでいき 曲は徐々に加速していく。最後のセクションでは早い

テンポになり、スタッカートアクセントが入ってから短いドラムソロで締めくくられることもある。

バラディとは都市部において内輪で踊られるエジプシャンダンスの形態である。

クラシカルなオリエンタルやルーティーンに比べると動きが少なく腕もあまり使わない。

エネルギーと意識は腰の動きに向けられており、極端なバックベンドもアクロバティックな動きもない。バラディには「重たい」フィーリングがある。ダンサーはリラックスした状態で登場し、どっしりと地に足を付け、土臭い風情を漂わせる。オリエンタル・ルーティーンの場合、意識は外に向けられるが、

バラディにおいてはむしろ内側に向けられる。

バラディをパフォーマンスする際の衣装は胴体を覆ったロングドレス(ガラベイヤ)で、シンプルで

古風なものか、あるいは華やかな飾りのあるタイプになる。ついでに言うとオリエンタルがメインの

ルーティーンの中に盛り込まれているバラディを踊るのでない限り、ツーピース型衣装でバラディを

踊るべきではない。バラディドレスとは伝統的なエジプトの衣服にヒップスカーフとヘッドバンドを 加えて舞台向けにしたものである。

この記事である程度ダンスと音楽におけるバラディとは何なのかが明確になればと切に願う。

バラディとは単にバラディであり、バラディ・フュージョンやらモダンバラディやらポップバラディ

やら バラディ・ノスタルジアなどというものは存在しない。

例えて言うなら、ソナタとはある一定の構造に則った音楽作品であり、その構造なくしてソナタとは

言えない。もしあなたが協奏曲を書いたのにそれをソナタ・ノスタルジアと呼んでもそれはソナタではない。そのようなことをするのは紛らわしく、ある特定の定義について誤った情報を与えてしまう。

ソナタはソナタ、協奏曲は協奏曲のままにしておこう。自分の創作を続けてそれにオリジナルの名前を付ければよい。これは昨今の音楽家にとってとりわけ大切なことである。ある文化に結びついた一定の呼称が用いられた場合、本来の楽曲の構造を保つのは必要不可欠である。でなければ完全に新しい「クリエイティブな」呼称を用いるべきだ。

これはタンゴやフラメンコ、ダブケなどにも当てはまる。

想像してほしい、私が「ポル・ウナ・カベサ」のような曲にミズマルのイントロを付けてバラバラに

し、ラバーバやタブラを重ねて「エジプタンゴ」という新しい舞踊形態を創ったら、と。そう言えば

しっくりこないだろうか?

一体何が問題なのか、表現の自由は?アートとは自己表現でしょ?と主張する向きもあるかもしれない。確かにそれはそうだ。ご自由に探究して新しい物を試せばいい。が、それをあたかも、ある文化における正統なものであるかのような教え方はしないでほしい。もしそれについて異議を唱えられないように

するならば新たな定義付けをするか、別の名前をつけるべきだ。

世界中で教え、パフォーマンスしてきた立場としてこれまでダンスの移り変わりを見てきたが、微妙に変え、新しい呼称をつけ、パッケージを変え、商標を付け直す。 あるアイディアが自分のものであると、皆がこぞって「オリジナル」で「第一人者」になりたがる。「独創性」を求めるが故そうしたことを意図するのだろうがそこは注意されたい。文化にかかわる情報を勝手に歪曲することによってまさに独創性の名の下に罪が犯されてしまうのだ。

自分のニーズに合わせて勝手に文化を捻じ曲げ、改ざんすることは決して許されるべきではない。

私たちの間にある違いこそがこの驚嘆すべき色彩豊かな美しい絵画的世界を創り出し、互いの文化に

関する興味を掻き立てるのだ。

バラディとはエジプシャンダンスの素晴らしい形態であり、エジプト文化の土臭いローカルな面に 惚れこむきっかけを与えてくれるのだ。

Mohamed Shahin

info@mohamedshahin.net